起業を決めてからは、起業の決意を最後に押してくださった方が、顧問となってくださったので、一緒にビジネスモデルの構築が始まりました。
週に一度くらいのペースで会って、議論をして、宿題をもらい、自分で考えて、またそれをぶつけてという日々となったのです。
2018年 秋
季節は夏から秋へと変わっていきました。
その議論の中で、最初に取り組んだのは、ナイトワークの女性の為のトータルサポート事業でした。
顧問の方は、大きなアイデアを出して、私がそれを具体化出来るように色々と刺激的な質問や宿題をくれました。
それを繰り返す中で、私はお客様の管理をアプリでするような顧客管理から入って、物販、就職支援、資格取得、婚活、出産等等をトータルでサポートできるような事をして行きたいと思うようになり、1本目の事業が決まりました。
しかし顧問は、私の場合は何かのビジネスを具体的にやりたくて、起業した訳ではなくて、起業をしたいがスタートなので、
ビジネスモデルは1つに絞るのではなく、3-4本を同時に並行させていくのがいいと教えてくださいました。
確かにリスクの分散になるし、どれが当たるかわからないので、起業自体が目的である私には、実際的だと感じたので、
ナイトワークのビジネスモデル以外にも後幾つかのビジネスモデルを考える事になりました。
と、同時にナイトワークのモデルは、実際にアプリを開発する為の仕様をまとめる事も始まりました。
ちなみに・・・それが今ではこんなアプリにまで成長しました。
■顧客管理アプリMelty
http://melty-app.com/lp/
2018年 冬
季節は、秋から冬へと変わっていきます。
私達は、大阪の色々な場所で何度も何度も議論をしました。
議論は時には朝から始まり、昼を挟んで夕方まで続く事もありました。でも、全然しんどくなかったです。
とにかく世の中に新たなサービスを生み出す事にすごくわくわくしました。
顧問は、この会議の中でも、何度も何度も本気なのかを確認してくださいました。
時には、「えーっまだ疑ってるの?」と思う事もありましたが、
今思えばこの繰り返しの確認の中で、私は少しずつ学生の起業気分から、起業家の気分になっていったのだと思います。
なんと会社を作った後でも、まだ確認されているのですが。。。。(笑&涙)
2019年へ
年が変わり2019年となりました。
当時はまだ休学していたので、起業にどんどん染まる自分がとても楽しかったです。
1/4での会議
2019年は、なんと1月4日の9時から会議がありました。
それはすごい寒い日でした。
梅田の喫茶店に集合して、ナイトワークの事業の詳細なモデルの確認とやる事を決めた後、すごく面白い事をしました。
それは、フレームワークからビジネスモデルを考える方法でした。
サービスを受ける側と提供する側に分けて、属性を若い男性、女性、年配の男性、女性の4つに分けると、8つのマスができます。
例えば若い男性が、年配の女性に向けて提供するサービスとは?のような8つのマスです。
真冬の梅田で、このマスを埋めるための議論が続きました。
こんな考え方今までした事なかったので、難しかったですけど、すごく面白く感じたのです。
そしてその中でさらに、3-4つのビジネスモデルの卵が産まれたのです。
その後も会議は続きます。
週に1度のペースで、ナイトワークのアプリの開発と、卵のアイデアの孵化にむけた議論が続きます。
いつも会議の時に、顧問は手帳を取り出して、メモしてきたことを伝えてくれます。
その中ですごく印象に残っているのは、私の性格そのものなのですが、熱がぱっとあがるけど、すぐに冷めてしまう事を、かなり的確に、指摘されました。
そして本気で社長をやるなら3つのSをきちんと持つようにといわれました。
その3つとは、
Stamina :スタミナ 持久力
Stability :ステイビリティ 安定性
Speed :スピード 迅速
です。私は、この時すごく感動しました。
起業に含まれる色んな要素が、本気で私が起業に取り組む事で、私をほんとに成長させてくれるだと思ったんです。
この話を聞いた後に、私は顧問に、今の話録音したかったーーというと、それは先に言えと怒られました。 (笑)
その後も会議は続きます。
ビジネスモデルの卵は、そのままつぶれるものもありましたし、まだ卵のものもありましたが、
もう2つ別のアプリのアイデアや農業やインバウンド支援とかも議題にあがり、起業の意義も色々わかってきました。
会議はほぼ毎週あるのですが、特に記憶に残っている会議は、3月25日の会議です。
3/25での会議
その日は、弁天町のタワーホテルの部屋を借りて、企業向けのEラーニングコンテンツのアナウンスの仕事をさせてもらいました。
1-2分のセリフを吹き込んでいく訳ですが、意外ときちんと読むのは難しい。
1日がかりで頑張りましたが、採用されず、仕事の厳しさを感じました。
頑張っているとか、一所懸命が、それ自体として評価されるのは、学生までで、社会は、結果でださないとダメだという事を強く感じました。
天保山の観覧車が見える窓を見ながら、頑張ったあの日、私の中では、忘れられない大切な起業へのステップとなりました。
2019年 春 復学し、大学4年生に
そして、2019年の4月となり、私は復学しました。そうです、
1年の休学から復学して、大学4年が始まったのです。
幸い、残り科目は3科目とゼミだけだったので、週に2日の学校と、アルバイト、そして残りの時間を起業にあてる4年の日々となりました。
この頃から会議の頻度も週2回とかのときもありました。アプリを3つ企画して、細部の仕様を議論していきます。
世間は、平成から令和を迎えた日も、私はこのアプリの仕様を固める作業をしていました。でも楽しかったです。
2つ、アプリのアイデアができたので、いよいよ次のステップとなりました。
いよいよ営業へ
そうです、令和に入った後の、最初の大きな仕事は営業開始だったのです。
私の考えたアイデアに関心を持ってくれる会社がないか、メールや電話で営業を始めたのです。
最初のメールは、すごく有名がアプリの開発メーカー。
天満のカフェで、1時間くらい考えて作った文章とこの数か月頑張って作り上げた企画書を、どきどきしながら、送信しました。
押した瞬間、「ああやってもうたーーー」と思いました。
お客さま毎に少しずつ文章を変えて、送りつづけていく作業、詰めが甘く変な文章を送ってしまった会社もあり、慎重さが足りない欠点も、ひしひしと感じました。
顧問は、起業を通じて成長するようにといつも言ってくれました。
自分で選んだ起業の道です。
怒られれても辞めたいとは、まったく思いませんでした。
そしてのそのようなメールの中から、東京の会社が私の考えた企画書に関心をもってくださり、なんと返事がきました。
この時の嬉しさも、はっきり覚えています。
営業しに東京へ
そして6月19日、私は遊びや学校や旅行ではなくて、営業として都内に行く事になったんです。
あまりの嬉しさに、お客さまの会社の前で、ピースした写真とかとってしまいました。(笑)
しかも歌舞伎町や秋葉原にも遊びに行ってしまった。
でもなんとなんと、営業の効果があって、協業に向けて、話が決まったんです。
自分で考えて、営業して、始めた物事が動いたんです。
それで、私はもう確信しました。もう前に進むしかないし、進めると。
起業への決心
それで、その日、私は7/1日に起業をしようと決めました。
ここから先は具体的な起業までの道のりに移ります。
おまけ
顧問に言われた記憶に残っている言葉。
■はじめの3年間は全てを捨てる覚悟で
これは私がすこし他の事に時間を取られ過ぎて、速度がおちてくるといわれる言葉です。
なんどか反発もしましたが、最後は納得して、自分に言い聞かせます。
■別にわざわざリスクを負ってまで起業する必要はないのではないか
これは裏返せば、本気度の確認なんだと思います。
でも就職じゃなくて、起業を選んだのは私自身だから、これくらいの言葉で、気持ちが折れたらダメだと思います。
■そして今回紹介した3S
スピードとスタミナとステイビリティが大切。
仕事をする上で、大事な考え方だと思います。
でもなかなかできない。自分の未熟さとの闘いです。でも成長したいです。