2019年秋に、中国の武漢から発症したといわれているコロナウイルス、
正式名は「COVID-19(coronavirus disease 2019)」
その後、中国の国慶節で中国人が世界中に旅行に行く事となり、世界中に広がったようです。
日本では、まだその頃は、冬になるとはやる普通のインフルエンザと同じように感じていました。
そして年があけて、少しずつ中国でのこのコロナの影響に世界の注目が向くようになってきました。
でも、まだまだ私は海外の事と思っていました。
2020年2月になって、横浜に停泊中のクルーズ船の中で集団感染が発生したという事がニュースになり、日本でもコロナウイルスという言葉が、ニュースで毎日言われるようになってきました。
でも、まだまだ一般的な関心はそこまで高くなかった気がしていました。
2月の終わりから3月になるにつれて、空気が変わってきます。
渡航禁止の国が出始めて、連日のように中国や韓国での感染のニュースが報道されます。
身近な人でも海外旅行を取りやめるとかの話が出始めます。でもまだまだ町はマスクしてる人もすくなく、身近な人の感染とかはない感じでした。
事態が大きく変わったのは、志村けんさんの入院と死去のニュースでした。誰もがしっているビッグネームであり、入院からあまりの速さに、世の中は驚愕しました。
そしてとどめを刺したのが、4月7日の非常事態宣言の発令と、それに続く大自粛ムードの開始でした。
とりあえず5月6日までという事で、移動が事実上禁止されたのと、テレワークの大推奨と、飲食や夜のお店の営業自粛で、すっかり町が変わってしまったのです。
このコロナとの闘いは、まだ始まったばかりのようです。
まずは少しずつ自粛が緩んでいくのだと思いますが、問題はこのコロナへの対応が社会をどう変えていくかという事です。
コロナ対策では、3密を避ける事が、強調されました。
1.密閉空間(換気の悪い密閉空間である)
2.密集場所(多くの人が密集している)
3.密接場面(互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる)
この3つが重なる場所を避けるという事で、必然的に人が集まる事が規制されて、結果として、社交的な場所やイベント系の行動が、一気に自粛されました。
満員電車やオフィスビルを避ける為に、テレワークが推奨されます。
経済活動が止まる事で、多くの人が職を失いました。倒産が自殺も多く生じました。
そしてこのウイルスの闘いは、これからも続くのです。
今回このコロナの襲撃によってどんなことが生じるのでしょうか?
歴史をすこしみてみると14世紀ヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)があります。ヨーロッパ全体が、黒死病に襲われて、当時の人口の3分の1とか4分の1が、死んだといわれています。
とんでもにない数字ですね。今のコロナの死者数と比べても、恐ろしい数ですね。
教会に通っているか関係なく、どこに住んでいるか関係なく、どんな立場にいるか関係なく、無情に人が死んでいくなかで、社会はどんな影響をうけたのかか?
教会は権威を失いました。信者であってもなくても無情に病は命を奪います。労働力が急激に減少したので、人手不足が生じ賃金が上昇しました。
結果として、農民は流動的になり、農奴に依存した荘園制の崩壊が始まったのです。
人口が急激に減った事は、他にも新たな人材の活用を求めます。
結果として封建的身分制度は解体に向かい、いわば生まれ変わった社会は、その後ルネサンスを迎える事になったようです。
歴史的に言えば、中世が終わり、近代が始まるきっかけこそが、この黒死病(ペスト)だったという事のようです。
ですから、歴史から見ると、この種の大規模な流行病は社会の構造を大きく変えていく事になる可能性があるとの事なんですね。
では、コロナの後、世の中はどうなるのでしょうか?3密を避けるという生活習慣が、浸透すると、どうなるのでしょうか?
中世と一番違うのは、ICT技術の違いです。でも人間としての本能は変わらない部分でもあるといえます。
となると、ICT技術を使って、3密を回避した社会ができるけど、人間の本質的な必要を求めて人々は新たな社会を構築していくのではないかなと、私は思っています。
ここで私が注目したいキーワードは、「テレ」です。
3密を避ける為に、直接の接触が減る事で、「テレ」になります。でも人間は、必ず他人と関わります。それは本質的な必要だからです。
だから直接をさけて、あらゆる事が「テレ」・・・という形式になるのではと予想します。
「テレワーク」「ZOOM飲み」「テレ医療」「テレ接待」などが、どんどん出てきていますが、もっともっと大々的で本質的な「テレ」社会に、変化するのではないかと思っています。
今は、直接会う事の代替手段としての「テレ」ですが、コロナ後は、会えても、「テレ」になるのでは?
会えないから「テレ」ではなくて、「テレ」でいけるのに、会う必要があるから会う、会いたいから会う、
つまり「テレ」の相対的な重要性が高まる事で、直接会うという事が、その重要度によって選別されていく社会が、生じるのではないかと思っています。
そんな社会でも、「会いたい」という感情、これは、ある意味今よりももっともっと濃い気持ちなのかなと思ったりもしています。
他にもいろいろな変化が社会に待っていると思いますが、まずは私は、「テレ」に応じていけるビジネスと、
逆にそれでも「会う」の価値を高めるビジネスの両面に向けて何か役にた立てる事をしたいなーーと、自粛ムードの世の中で、淡々とアフターコロナ、そしてWithコロナの社会を見据えています。
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